斐伊川の歴史
斐伊川は、下流に2つの大きな汽水湖をもつ全国でも珍しい河川です。その源は鳥取・島根県境の中国山地の船通山に発し、途中支川を合わせながら北上して、出雲平野を東に流れます。その後、宍道湖に流入して、県都・松江市を流れる大橋川を通って中海に入り、境水道を通じて日本海に注いでいます。
斐伊川の上流域では、風土記の時代から「たたら製鉄」と呼ばれる製鉄業が盛んで、その原料となる砂鉄は、花崗岩類の風化土層を掘り崩して水路に落とし、水との比重差によって土砂中の砂鉄を凝集する「かんな流し」と呼ばれる方法で採取されました。そのため、斐伊川に大量の土砂が流出し、全国でもまれな天井川になりました。
また、斐伊川は、かつて出雲平野を西流し神門水海を通じて、日本海に注いでいましたが、寛永12年(1635年)、同16年(1639年)の洪水を契機に完全に東流し、現在のように宍道湖に注ぐようになりました。
(資料提供:河川局)
|