2013 壱岐・対馬
  

対馬 厳しい海岸線が印象的 対馬やまねこ空港からスタート

対馬島内移動軌跡

福岡10:35→対馬11:10
(少し遅れて出発)
鳥居が海に延び、竜宮伝説が残る和多都美(わたずみ)神社 万松院(ばんしょういん)宗家菩提寺 歴代藩主の墓所 橋脚↓鳥居・神社!?
神宮皇后を祀る厳原八幡宮 長崎県立対馬歴史民俗資料館 石垣は「防火壁

小茂田浜海岸 元寇の被災 断崖の厳しい海岸線のなかで一部の河口にわずかな砂浜がある。文永の役(1274年)では3万を超す元・高麗軍のうち1000人がこの付近に上陸、宗家軍はわずか80余騎で迎え撃ち全滅、小茂田神社に祀られている。
元寇で壱岐・対馬は甚大な被害を被った。この復讐行為(倭寇)や秀吉出兵〜朝鮮併合〜竹島・尖閣の緊張と続く現代まで・・、全てのスタートはこの地だったことを忘れてならない。
もっと整備して歴史事実を伝えること肝要。「元寇」の意味も現代ではリアリティーに欠く。蒙古や朝鮮の侵略だ・・。“対馬が韓国領”という輩もこの侵略の事実からは一理あるかも。
対馬歴史民族資料館には、宗家や朝鮮通信使のことが中心で、なぜか元寇被害の歴史展示が抜けている。
椎根の石屋根
対馬でも厳原の西海岸にわずかに残る石屋根倉庫。

堆積岩の一種・頁石(けつがん・スレート)で屋根をふき、穀物などを風雨や火災から守った。人家から離れた場所に建てられているのも防火の一環。屋根は現在の瓦・スレートに伝承されている・・

対馬・厳原港13:15→壱岐・芦辺港14:20
壱岐
六人会を迎えてくれた“六地蔵”→
満潮には腰までつかるため地蔵の腹部に供物用の穴がほられ「はらほげ地蔵」の名。
先の青島に発電所の煙突が見える。
6体は仏教の六道から。悩み苦しみ多き現代に幸来たれ・・
←美しい「左京鼻
左京という人が付近を開発されたとか。
弥生時代の多重環濠集落を復元した「原の辻一支国王都復元公園
魏志倭人伝で国と王都の両方が特定されている唯一の遺跡。

一支国(いきこく)とは魏志倭人伝で壱岐国を指すそう・・なぜ日本表記を使わんのか?
壱岐市立一支国博物館と長崎県埋蔵文化センターが一体の博物館

魏志倭人伝に記される壱岐に関する57文字の情報と原の辻遺跡(遺物)を連動させた展示博物館。
見ての通り建物は立派・・
猿岩(壱岐・黒崎半島突端) 国境の島らしく砲台の跡も多い

松永安左ェ門 記念館(壱岐・印通寺浦)


翁の闘争とは・・
一支国博物館の莫大な(と思われる)資金を少しは廻してほしいものだ・・(当然、生前の言動・哲学・遺言などからも翁が期待する言葉ではありません)
少なくとも王都より翁の偉業がはるか・・と思うのは私だけか?。
闘争の相手が役人とすれば国は絶対支援せんだろうな・・
国の繁栄の礎とは何か!?我が闘争にも終わりなし。
遺言



壱岐島内移動軌跡
壱岐・郷ノ浦港から時速70km-高速翼船・ビーナス2で博多港へ(14:15⇒15:25)

トピックス&グルメ
サプライズ・・前夜祭で特別ゲストからサプライズなプレゼント(博多)

「津島」と「対馬」・・の不思議

対馬・厳原町のホテル近くの散歩で見つけた「池神社」の説明板に“津島(対馬)”とある・・⇒
古くは「津島」と記され、「津」=「港」の意味で交易の島を表したと解される。
「対馬」は“馬韓(朝鮮半島南部)に対面する地”との説も・・
(対馬歴史民族資料館職員説)
我には、二つの島からなる=ついのしま、ペアアイランドとも・・思えて。
ろくべえ・・サツマイモ原料のプルプル食感の短い麺を熱いすましでいただく。沢山の料理と対馬やまねこ焼酎の後にも喉越し良好だった・・。(厳原)

奥壱岐の千年湯・・壱岐島内一古い歴史を持つ“湯の本温泉”。湯面に写る大ソテツが1500年の歴史を思わせる。
海洋深層水の赤い塩湯をかけ流し・・。
“壱岐もの屋”・・らしく、料理もサービスも新鮮なもてなしに大満足。
米山さんのリクエスト旅館で松永翁とも縁のある宿でした。蛍の乱舞も鑑賞。

WHOお墨付き・・壱岐は“麦焼酎発祥の地”で地域名を冠した「壱岐焼酎」ブランド。その一つ玄海酒造で工場見学と試飲・・(べろんべろん!!) 「壱岐焼酎」はWHOから“地理的表示”を認められている。
世界で地理的表示を認められている酒類は、スコッチ、バーボン(ウイスキー)、コニャック(ブランディー)、ボルドー、シャンパーニュ(ワイン)などが有名。日本では琉球(泡盛)、球磨(焼酎)の三地域が指定され、その後、薩摩(焼酎)なども指定されている。でも、いずれも旧国名で壱岐は唯一現地名だ。

この島に免税店・・!?(厳原)
ハングルでデコレーションされた店。ちょっと入ってみたが、怪しまれてすぐ追い出された。
なんでも外国人専用だとかで日本人には見せてももらえない。
(地図によると元パチンコ屋)
着物女性の看板は何を語る・・
“かすまき”とは・・かすてらだった。
試食が美味く対馬から唯一の土産とした。
右のハングルも元祖かすまき屋の店先・・。外国観光者の来店も結構多いとか。そして我らよりも賑やかで一斉に喋らはるそうです。かなんな〜
はて外国か!?・・対馬は観光案内・道路標識などハングルであふれている。国際的にはそれは良いことです。が、はて、下の標識はどこの登り口か判りますか!?。
ホテル朝食会場で我々のリザーブ席。こうしないと何処でも割り込むんだって。(厳原)
雁木階段へ
↑極め付け@・・対馬で著名な観光スポットのビューポイントにデンとトラック!?。
入場受付兼土産物屋の亭主に島内の観光案内の不足など含めてあれこれ苦言を申し上げた・・ところ・・“あ〜あそこは判りにくいでしょう。しょっちゅう苦情があり、私たちも観光協会に申し出ている・・”と明確な返答。じぇじぇじぇ・・地元の人に判ってもらえて嬉しいやら、腹立たしいやら。
ちなみにトラックは、歴代藩主の墓所に通じる百雁木(石段)に並ぶ石灯篭を修理している作業者の車・・。でも、この無神経な感性は如何でしょうか!?
ところが落ちがあって・・石灯篭の倒壊原因が外国の観光団体の心無い仕業とか(亭主談)
ランチ・・
ということで、小さな町は外国観光者でどこもあふれておりまして、人気の海鮮レストランはもちろん小さな飯屋まで満杯・・よってこの日の昼食はコンビニで調達。(赤いモノは紅ショウガではなかった。チン)
極め付けA・・↓
これ、とある港の下船風景ですが何を撮っているでしょうか??・・。見ての通り、ボラード(係船柱)の狭い間クリックで拡大を足の不自由な方が下船しています。私はカメラ位置で乗船待機の列の中です。背中(右後ろ)の建物の二階待合室(上のスナップの昼食場所)からトランクを持って階段を下りて乗船スタンバイしているところです・・
二階待合室にもエレベーターはなくトランクを持ち上げ・・そして別の階段からこの場所に降りてきました。
どうして二階に上げるのか不可解になり一階を散策すると、あるではありませんか「高速船・特別待合室」。どうも二階はフェリーと国際航路用・・か。その待合室からの動線はロープをはさんでこの係留柱を抜けるルートのようでどうもセセコマシイおかしいレイアウト。再度確認したところ、いや、、いや特別待合室とは身体の不自由な方専用と明記されていた。・・ので、一般はやはり階段を上って・下って・・このルートのようだ。皆さん並んでいるし・・。しかし、身体の不自由な人のルートもご覧のとおり通りにくそうで、とても銭払って乗り降りする場所とは思えません。

この待機中にトランクが階段の踊り場からモクレ、今夜のために持ち運んだ「獺祭・三割九分」(だっさい)を目前にして割ってしまったのでどうしても書きたくなったのです。
港の係員に、ここの管理者の確認と動線に関する苦言を申し述べたところ、“不便でしょう・・”と即答。
再び、じぇじぇじぇ・・。わかっとんなら直せや〜と心の声。隣には立派な官庁事務所(国や県の合同庁舎みたい)がそびえたっているのにの〜・・(左写真)。
結構高い料金取って、顧客・住民志向は皆無。島民の皆さまが不憫に思えて県に改修計画の有無を照会中。フィードバックがあれば追加記載します。
これまでも維新をはじめ様々な地を訪ねてきましたが、壱岐・対馬はこれとは異なる歴史と現在を感じた旅でした。
よって、少々編集者の主観が多い年(ページ)となりました。(丸)