【湯田温泉】 参上 長州 FIVE
       −松田家−


 三百余年の歴史を誇る松田家。
 新たなる時代の幕開けを夢見て、志士達がここ松田屋に集い、新しい時代が熱く語られた。
維新の湯
 浴槽は徳川幕府末期、1860年(万延1年)に建造されたもので、長州、薩摩、土佐の勤皇の志士たち(高杉晋作・木戸孝允・西郷隆盛・大久保利通・坂本竜馬・伊藤博文・大村益次郎・山県有朋・井上馨ら)が密会の際に使用した歴史的文化財でもある。
【萩】
−明倫館跡−
 現在の明倫小学校、萩商業高校、萩簡易裁判所を含む一帯1万5千坪が、かつての藩校の跡地。学問を盛んにして、政治を動かし社会に役立つすぐれた人材を育てようとした明倫館は、水戸の弘道館、鹿児島の造士館と共に、日本三大学府といわれ、全国有数の藩校として知られた所。
 内部には「水練場」跡がある。藩士の鍛錬のためということなら、全国どこの藩校でもこういう池はありそうなものだが、なぜかここ萩・明倫館と、会津若松藩の日新館にしか水練池は無いとのこと・・。
−松下村塾−
 松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代後期の幕末に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾である。長州萩城下の松本村に、松陰の伯父である玉木文之進が1842年(天保13年)に設立し、松陰も学んでいる。
 安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、塾を主宰する。松陰は、身分や階級にとらわれずに門下生として受け入れ、わずか2年半の間ではあったが、久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎ら、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てた。国の史跡に指定されている。

 傍らの記念館で、松陰が安政の大獄で読んだとされる、『親思ふ心にまさる親心 けふの音づれ何ときくらむ』 の短冊を買い求めた・・



−高杉晋作生家跡−
−萩反射炉跡−
 「反射炉」とは、銑鉄(−せんてつ−鉄鉱石から直接製造した鉄で不純物を多く含む)を溶解して優良な鉄を生産する炉。
 銑鉄の溶解には千数百度の高温が必要で、反射炉は天井部分が浅いドーム形となっており、そこに熱を反射集中させることでその高温を実現する。この形状から反射炉という。
 萩反射炉の煙突部分上部は2本に分かれ、基底部は長方形で、上部に向かって9mまでは玄武岩と赤土を用い、先端の2.5mは大きな煉瓦を使用している。
 近世の反射炉で現存するのは、伊豆の韮山に築造されたものとここの2基だけ。萩藩の幕末における軍備充実の熱意がうかがわれる。国の史跡に指定。
【長府】
覚苑寺 −かくおんじ−
 元禄11年(1698)長府藩3代藩主 毛利綱元が、宇治の黄檗山(おうばくざん)万福寺の悦山道宗禅師を招いて開いた毛利家の菩提寺。

 幕末には、藩主、奇兵隊の陣屋になった。
【門司】
時代は流れて明治維新〜そして大正へ・・
−旧門司税関−
 明治42年の門司税関発足を契機に明治45年(1912年)に建てられた煉瓦造り瓦葺平屋構造の建築物。昭和初期まで税関庁舎として使用さた。
−門司港駅−
 門司港駅は、大正3年(西暦1914年)に建てられた九州で最も古い木造の駅舎で、駅としては全国で唯一国の重要文化財に指定されている。
 外観のデザインは、ネオ・ルネッサンス様式といわれるもの。左右の造りが対称的なのが特徴。
形は“門”を表している。